2021-05-21 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第26号
私自身、大学は農学部の林学科の出身でありまして、森林の保全については人一倍思い入れがございます。しっかりと守っていかなければいけないと思います。また、世界的に水不足が懸念されて久しい中、日本の美しい水源を守るため、是非とも今後の検討の中では森林も対象になるようにお願いを申し上げたいと思います。
私自身、大学は農学部の林学科の出身でありまして、森林の保全については人一倍思い入れがございます。しっかりと守っていかなければいけないと思います。また、世界的に水不足が懸念されて久しい中、日本の美しい水源を守るため、是非とも今後の検討の中では森林も対象になるようにお願いを申し上げたいと思います。
私自身、大学でレスリング部の監督をずっと続けておりますが、本当に選手たち、学生たちは全国大会に向けて一生懸命練習をしています。競技は違うといえども、この野球をやっている人間として甲子園というのは本当に特別な場所だと思います。
私自身、大学のときに友人の兄が、まあ年離れていないんですけれども、大会出て、社会人のラグビーやって、試合中に亡くなっています。やっぱり、すごくこういうことってきついんですよね。 やっぱり、これ、そうすると、十七日に関西学院大学が日大に求めていた見解に対する回答書を公開しているんですが、そこでは、意図的な乱暴行為を行うことなどを選手へ教えることは全くございませんと日大アメフトは回答しているんです。
この立憲主義というのは、権力の恣意を防ぐということ、権利を守らねばならないということと、もう一つは、権力の分立ということがきちんとなければならない、それをもって立憲主義といっておったというふうに、私自身、大学で習ったような覚えがございます。
私自身、大学の教官として、研究者の評価ということに関しては、常々疑問を感じることが幾つかありました。
○吉川(元)委員 だとすれば、局長自身、大学の移転に関しては「教育研究に関する重要な事項」であるとしながら、ここに書かれているのは、学長が教授会の意見を聞くことが必要であると認めた場合というふうになっております。 今ほども言ったとおり、学長と教授会で意見が対立した場合に、学長は当然、「教育研究に関する重要な事項」である大学移転に関して、教授会に全く諮らないということは可能なんですか。
確かに、日銀が財務省から直ちに買う国債引受けとマーケットを通しての国債購入、これはマーケットのチェックがあるかないかという違いがあると大学の教科書にも書いてありますし、私自身、大学の教科書を書きましたけれども、そこにも自分でも書きました。
と申しますのも、私自身、大学を卒業しましてからかなりの長い間、約十四年間でございますけれども、日本銀行に勤務していた、そういった経験がございまして、そこで、特に地域金融機関の立入検査ですとかオフサイトモニタリング、このようなことを担当していたからでございます。
そういう意味で、原子力全体、原子力発電所も含めまして全体を見る力、これは私自身、大学でもそうでしたし、日本原子力研究所に長く勤めておりましたから、そういった意味での総合的に原子力を見る力というのはあります。
しかしながら、先生の書かれた御本を読みますと、例えば、あの有名なお弟子さんの戸塚先生にしても、あれは筆記試験では合格していなかったんだ、でも、いいところがあるから引っ張り上げたんだというふうなこともお書きになっていますし、先生御自身、大学ではびりに近かったというようなことも書かれております。
私の周辺には、骨粗鬆症で、あの人がという人が倒れて寝たきりになったというケースがあまたありますし、実は、腰痛については、私自身、大学を出て職場についた瞬間、机を持ち上げて、それでぎっくり腰になって以来、六十歳で厚生労働副大臣として仕事をさせていただくまで腰痛に悩みました、三十八年間。
私自身、大学を出まして、私は役所に勤めました。そこで生まれて初めて労働組合という、自治労という組合に、私も組合員になったわけです。もちろん参加もしました。これは私の初めての労働組合との出会いでございました。 そして、私自身、役所をやめて、そして社会党の衆議院議員の秘書を十年やりました。その仕事は、労働組合を担当する秘書であったわけです。
私自身、大学時代、児童福祉施設の、まさに放課後の子供の遊び相手を六年間やっておりまして、そこで福祉に関心を持ったということもありますが、やはりこういう職員体制というのは非常に重要だと思っております。
私自身、大学に通いました折に、奨学金のおかげさまで卒業までこぎつけることができました。これがなければ、恐らく大学で学ぶ機会はつかめなかっただろうというふうに自分自身では思っています。バイトではとても間に合わないような学費、生活費というところがあったというのが現状でありました。
国民の方も、いろいろ憲法改正試案等々出ている中で手続法が必要だという声が強まっていて、そうかなというふうに受け止めている人もいると思いますけれども、私自身、大学で憲法を教えている中で学生の反応を見ますと、そもそも国民投票法案が国会で議論になっているということすら知らない学生がかなり多いということで、実はそれほど盛り上がっていないのではないか。
私自身、大学四年生のときに自分の保護者の祖父が亡くなりまして、奨学金をもらいました、もらわないとなかなか困難だということがあって。私の出た大学は成績優秀者ですと学費が免除になるということがあったんですけれども、私は全然優秀じゃありませんでしたので、生活困窮者がもらう奨学金をもらいました。
また、今回の専門分野の資格を設ける建築士法の改正についてでございますが、大変私事でございますけれども、設備設計監理にかかわる技術者として、また、私自身大学のときに先輩から言われたことでございますが、建築の設計というものは、意匠、構造、設備の各分野のプロが相互の立場を尊重、そして信頼し合って、その三者がいろいろ意見を言い合いながら議論を重ねた上で建築というもののコンセプトをつくり、そして補完し合いながら
思えば昭和四十八年三月、時の田中総理から、どうだ山東君、政治をやってみないかと勧められ、私の家は親戚には大臣や代議士をした者もおりましたが、私自身大学で政治学を勉強したわけでもなく、とてもとてもと申しましたら、何を言うんだ君、政治家は最初からプロは一人もいないんだ、大切なことはいろんな人に会っていろんなことを吸収する能力があるかどうかだ、それに我が国は女性議員が余りにも少な過ぎる、君は若いんだから、
私自身、大学時代にはほとんど勉強していませんでしたので、本当に、今思いますと、経済産業省で過ごした十三年間で仕事の仕方や経済がどう動くか、そして多くの方にお会いしてそういう人脈をつくらさせていただきました。私にとっては母校みたいなところでございます。その母校がこのように本当にもう問題を起こし、どんどんこのブランドというものが落ちていくのを見ますと、非常に心が痛む状況です。
私自身、大学を卒業いたしまして最初に入りました会社が日本電信電話株式会社でございましたので、当時、私も上野営業所におきまして販売をさせていただいておりましたのは、俗に言う携帯電話、携帯と言うにはおこがましいほどに大きな自動車電話で、ショルダーホンと、大臣今ほほ笑まれているのは恐らく思い出したなと思うんですが、やはりそれから見ると、本当に技術の進歩というものが、これだけの技術進歩というものが生活を便利